足柄城址

住所 神奈川県南足柄市矢倉沢・小山町竹之下

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概要

足柄城があった足柄峠は、東西の交通の要所として平安時代には関が設けられていました。この地に兵を常在させたのは、戦国時代後北条氏2代氏綱の頃と言われています。やがて今川氏、武田氏との抗争を契機に本格的な城郭として足柄山防衛線の中心的な存在となっていきます。桶狭間の戦いの後、今川氏が衰退してからは、北条氏と武田氏は、駿東地域の激しい奪い合いを繰り返しました。元亀2年(1571年)北条方の最前線である深沢城(御殿場市)が落城すると、国境最前線の城塞として重要視されるようになりました。石切人夫を足柄城に送り込み石塁を整備した記録も残っています。その後、武田氏の滅亡により駿東地域は德川家康の領地となりますが、猪鼻岳(金時山)~足柄城~浜居場城間の要所に砦を築き全山が要塞化されました。天正18年(1590年)豊臣秀吉の軍勢を迎えた後北条氏は、防衛の最前線を伊豆から箱根、足柄にかけて引きましたが、箱根山中城は豊臣軍の物量戦により半日で落城しました。足柄城城主の北条氏忠は小田原城に入城、城代の依田大繕亮も退城、4月1日徳川家康配下の井伊直政軍が攻め入った時には「雑兵26人ばかりして忽ち開き去る」(関八州古戦録)とあります。城跡は街道を押さえる5連郭からなり、江戸時代富士山宝永の噴火の火山灰により埋没してはいますが、空堀、土塁とも堪能できます。一の郭には水の手である「玉手池」があり、昭和50年代(1970年代)の道路拡張工事の際に水脈を断ってしまい、かつての水量はありませんが、現在も水をたたえています。また、この池は昔から雨乞いの池として知られており、日照りが続くと近在の農民はこの池を棒でかき回し、雨を降らせていたと伝わっています。城址からの富士山の眺望は見事です。

アクセス情報

電車・バス:伊豆箱根鉄道大雄山線大雄山駅よりバス「万葉公園」下車5分

車:東名高速大井松田ICから30分

駐車場

あり (10台)